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どこへ行っても秋 [いなか]

何処も同じ秋の夕暮れ、際立った紅葉も無ければ落ち行く雁もなし。それでも寒さはひしと迫るしこの寂しさは秋の深さを感じざるを得ない。こんな日には山線に行くのが常だった、テツではないがぼんやり車窓をみるのは秋が一番。三セクではわたらせ渓谷鐵道や野岩鉄道が定番だけどjr水郡線は不通だし只見線もそう、今は小海線かな。今のテーマは熟れた烏瓜が笹薮にぶら下がって秋の夕日に照らされている光景。
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今日から4連休 [いなか]

夏季休暇が始まった、今年は今日から4連休の後1日出社してまた4連休。1日を年次にすれば9連休だが、年次をあまり使いたくない理由がある。冬にどうも10日間程度の入院が必要になるようだから、残しておきたい。前の病気で病欠用積立年休を使い果たしたのであと20日しかない。それはそれとして、今年は実家にも帰らないし家族旅行も行かない。ひたすら家にいるか近場に行くかしかすることがない。青春18きっぷはあるからまたどっかに行くかもしれない。渓谷と温泉だったら行こうかなとも思う。
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雨上がりの風 [いなか]

制服のシャツを抜ける爽やかさは本当に気持ちがいい
青葉は山を塗りこめて
藤の花の明るい紫が流れ落ちる
藤の香で満たされた風にどっぷりと浸かり
田んぼの真ん中の一本道を
僕は自転車で走ってゆく
雲を映した水溜りを突っ切って
蒼空が二つになった時カッコウの声が聞こえた
一面の水鏡に早苗が揺れている
春から初夏へ季節は動いている
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田舎はどこもそうだった [いなか]

ポツンと一軒家、とんでもない田舎がよく出てくるが、先日会社の飲み会で1960年~1963年の人間が集まった。東京出身者、大阪出身者、兵庫県、鳥取県、大分県の5名だった。出身者と書いている人は都会出身、それ以外はど田舎出身。このど田舎出身者のはなしがポツンと一軒家の昔の事情とうり二つだった、まず電話は昭和40年代まで各家庭にはなかった。電話がある家に借りに行き手回しの交換台経由で話をした。次に水道、みんな井戸を使っていてその後やはり電話と同じ頃地域で簡易水道を作って引いてきた。次はガス、最初はいろりやくど(竈)で薪をくべて調理をしていた、風呂も五右衛門風呂で薪で焚いていた(近所の人も入りに来た)、その為秋から冬の薪拾いと薪割は大変だった。電気は皆来ていたがおふくろは川に選択に行っていた、洗濯板の代わりの平たい石が小川に最近まで残っていた。小学校に入ってしばらくはSLが走っていた。冷蔵庫がないので井戸水でいろいろ冷やしていた。共同所有の山林の手入れによく借りだされた、道の補修(道普請)にも良く行った。地域の行事がいろいろあって、大人たちのお伊勢講、庚申様、お日待ち、大師講、子どものためのお接待、芋名月、花祭りなどがあって楽しみだった。隣りの集落には亥の子や精霊流しもあって遊びに行った。いろいろ話していると大都市圏は別として昭和40年代前半まではどこの田舎も随分と田舎だったのだなと思った。いつからか、便利になったどこもおなじになってしまった。

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過去に二回の帰去来 [いなか]

何年もブログをやっていると同じ記事を書くことがある。帰去来というタイトルが確かに二回ある。帰りなんいざ、そう思う事がありますということだろうか、故郷でありながら帰って生きようとはなかなか思わない。現実には無理だと思う、農業は農機具は発達したが基本的に重労働だ、しかも故郷は山間部で平坦地が少ない。それにあそこまで荒れた休耕田を元に戻すのは膨大な労力が必要だ。果樹園跡も山林に戻り用水も破損がひどい。田舎暮らしはもう夢の果て、田園まさにあれなんとす、ではなく荒れきっている。せめて身体でも強健だったら。
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限界集落がまたひとつ [いなか]

いまや田舎に行けばほぼすべてが限界集落だ、私の実家のあったところも大字では300人ほどがいたが今は100人もいない、小学生はゼロ。国道は通っているし一時間に1本しかないが鉄道の駅は徒歩20分圏内、県庁のある町まで車で1時間、鉄道も同じくらい。だが、小字は限界集落だらけ農地は放棄されている。ここだけではない、同じ国道や鉄道沿線も同様。人間の手が入らない農地や山林の荒れ方は凄い、自然に帰るというとエコな感じがするが、そうじゃない人間が開墾して作った土地だから、植生も同じにならない、遷移してゆけばそうなるのかもしれないけれど。田畑もそうだが主を失った家は荒れるのが早い、おおかたの家は壊したりしないので危険な空き家が残る。野良猫もいるがアライグマやハクビシンの住処になったりしている。昔友人がいた消えた集落に行ったが、荒野と化した田畑、朽ち果てゆく家、草にうずもれた墓地、無常を強く感じた。どこかで止まってほしいものだ。
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秋は深し [いなか]

ほうき草の赤いボールが並び
稲をかけた稲架は重く
藁を焼く煙は緩くたなびく
いつもの秋だから
ほんとうにいつもの秋だから
青い空に赤とんぼは宙を舞い
遠くから祭り囃子が聞こえて
全く絵にかいたような秋だ
私は自転車で農道を走っている
弁当と水を持って家の田んぼまで
手を休めてあぜ道に座って
一服している両親へ弁当を届ける
一緒にあぜ道に座って見渡せば
遥かに久住の山並みは青く秋は深し
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日長の日 [いなか]

一年で一番昼が長いこのごろ、病気になって以来残業と言うものを止めているから帰りはまだ明るい。つい10数年ほどまでは帰りがまだ明るいのではなく帰りがもう明るいなどと言うこともあったのに、不思議なものだな。一度病になると何となくむやみに明日セルはふかさないようになる、ふかせないと言ってもいいのかもしれない。元気なうちはいいがどんどん衰える一方だから無理はしない。出世やお金のために無理をするのは馬鹿げていると即断できる自分が凄い。負け犬?そう言われること自体がどうでもいい、向上心は別の所で使うよ。今日は落ちる夕陽を眺めていようかな。
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山菜旨いのに [いなか]

青葉の季節になりました、田舎にいたころはワラビだのゼンマイだのがいっぱい出て母親と背負子を背負ってとって歩いたものです。ワラビはあく抜きをしてそのまま塩漬けにする、ゼンマイも開く抜きをして茹でて干して使う時は水で戻して甘辛く煮つけました。フキノトウや土筆はもっと早い時期なのですがフキノトウはてんぷらや蕗味噌にしました、土筆は袴を取り茹でて灰汁を取り和え物にしました。芹は田んぼの畔に沿って生えています、苦みと香りは天然モノならではで御浸しか卵とじにしました。
ノビルは生で味噌をつけてかじるか葉ごと茹でて酢味噌を掻けたりしました、てんぷらにも出来ます。タラの芽はてんぷらが一番です、採る時に注意しないと棘で怪我します。ウドは良く採られておりきんぴらや煮つけにされ、ユキノシタやイワタバコはてんぷらで食される。九州は北国より山菜やキノコがあまり利用されていません。コシアブラも九州にあることはありますが食べられていません。クサソテツ(こごみ)やシドケもあまり食用にしない。教えてあげたいと九州に持ち帰ったこともあるがどうも評判が悪かった、おいしいのに。

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ネコ駅長さん頑張って [いなか]

先週、高校時代に通学に使っていた駅にネコ駅長が就任した。今では増えたネコ駅長だけど、野良猫として住み着いて10年住んでいたものを駅長にしたらしい、豊肥本線というこの線は山間部を縫って走っており、大きな河川にも沿っている。災害も多くよく不通になる、あの熊本地震でも被害を受けまだ復旧していいない。その前にも3度ほど大水害によって長期間不通だった。私が乗る駅はもっと小さい駅でそれでも通学用列車は3両編成で満員だった。今はほとんど乗る人もいないらしい、そして降りる駅はネコ駅長の豊後竹田駅だった。駅から真っ直ぐ行って隧道を抜けて左に学校があった。川沿いに近道があって部活をぎりぎりまでやって近道を走るのが日課だった。高校の裏手が城跡で桜の名所としても有名で、城下町は盆地の中にこじんまりとまとまって武家屋敷や古い和菓子屋があった。いまでも落ち着いた街並みと静けさが残っている。高校の制服を見ると昔を思い出します青春アルバムの大きな1ページをくれた街です、訪れてくれる人が少しでも増えますように、ニャー駅長が招き猫になるよう祈ります。

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