眠れぬ日々 [双極性障害]
睡眠薬は効かない、10時に寝て12時に目が覚める、中途覚醒が復活した。頭が痛い何が今そんなに苦になっているのかさえ分からない。インスリンなんてどうでもいい、何かが僕の中で起こりつつある。脳がダメージを受けている、考えがまとまらない。休養ができない。慰めもいらない。僕は何処へ向かうのだろうか。
幻影幽霊 [双極性障害]
我に帰ったら隣にいたのはずっと昔に遠くへ去った人
きりりと結んだ口の赤い細い唇が
冷たい風に抗って僕を見ていたよ
真っ白な細い腕サラサラ落ちる黒髪
まるで雪の精まるで光のあやかし
ずっと見てきたけどそっと見てきたけれど
最後の1ページめくったらふっと消えた
きりりと結んだ口の赤い細い唇が
冷たい風に抗って僕を見ていたよ
真っ白な細い腕サラサラ落ちる黒髪
まるで雪の精まるで光のあやかし
ずっと見てきたけどそっと見てきたけれど
最後の1ページめくったらふっと消えた
鬱病なんかじゃなかった [双極性障害]
うつ病と診断されてそれから2年ほど頑張って会社には来ていたけれど、だんだん部下からおかしいとクレームが入るようになり、その部下の一人がうつ病になり休職した。この期に及んで会社に休職を願い出た。そして、そのタイミングでうつ病ではなく双極性障害と病名が変わった。もともとのうつ病と診断された時の勤務状態は労災の基準を遥かにオーバーしていたけれど、会社には迷惑かけられないと申請しなかった。そして直属の上司が社長という特殊なものだったので相談しようもなかった。それに頭がパンクしているような状態で何もする気になれなかった。世の中にはこんな人がたくさんいて自分だけは甘えてはいけない、それでも休職から立ち直るまで2年半かかった、健康保険の傷病手当金(賃金の6割)で住宅ローンなど払うのは苦しかった、妻にも迷惑をかけた。1年経ってから再び会社に戻るためのリワークを開始したが何度も主治医からまだ早いと言われた。おおよそ主治医は早期復帰と言うものだと思っていたのに。リハビリ出勤を経て遂に復職した、役職はなかったが資格は休職前の部長格のままだった。今では2週に1度病院に通っているが症状は安定している。役職がついて部下6人預かっている、それももうすぐ終わる。あと5か月後は会社に残るか辞めるか決定しなければならない。他で仕事ができるほど能力はない、今の仕事のまま賃金4割ダウンは受け入れられない
逆らいの罪 [双極性障害]
あDHDや双極性障害に逆らっていた、当たり前だけどそんな病気の欲求をいつも求めていたら人間が終わってしまう。いつも他人に自分を求めたらそれは終わること。でも、何十年もやっていると悲しくなる、僕はひどい奴だから自分を出してはいけない。だから、ずっと隠してきた、精神面が脆いと言うことで仮面をかぶってきた。弱いんじゃなく、たくさんの鋭いナイフで武装された危険なハートを持っている。自分で抱きしめようとして大怪我すろほどの心。
海が見たくなった [双極性障害]
ただ寄せては返す波を見ているだけではなんだか心がいたたまれぬ
それでも海を見るために電車に乗って誰もいない浜辺に降り立ったけど
北風に揺れる松並木もシャッターを閉めた民宿も
こんな終わりの時間を共有するためじゃなかったと
吹きすさぶ風に襟を立ててシーグラスを一つ拾った
たわいもない事だけどこのシーグラスが愛しくて
いつもなら海に投げ返すものを静かにポケットにしまい込んだ
これが今日の目的だったかどうかそれはわからない
これでよかったとも言えない
それでも海を見るために電車に乗って誰もいない浜辺に降り立ったけど
北風に揺れる松並木もシャッターを閉めた民宿も
こんな終わりの時間を共有するためじゃなかったと
吹きすさぶ風に襟を立ててシーグラスを一つ拾った
たわいもない事だけどこのシーグラスが愛しくて
いつもなら海に投げ返すものを静かにポケットにしまい込んだ
これが今日の目的だったかどうかそれはわからない
これでよかったとも言えない
さらばADHD [双極性障害]
今でも注意欠陥性という表現にピシャリとあてはまる、昔は試験の答案に名前を書き忘れる、マークシートの答えが一行ずれる、先生の名前を間違えるなど。今はまず起きたまま降りる駅を乗り過ごす。電柱や壁に普通にぶつかる。溝に落ちる、切符を落とす、財布を落とす、その日のプレゼンの資料を忘れる。薬を飲み忘れる。いつも気合を入れていないと何が起こるかわからない。こんなことでどうして今まで生きていられたのかが不思議です。大学を卒業して社会人としてここまで来たのはどうしてだろう。抜け目のない事が嫌いなのは自分ができないからだろうか。だけど、今年でADHDを卒業しようと思う、それは病としてのADHDは卒業できないが、わたしの中で卒業しようと思う。
病を超えてゆく [双極性障害]
自分を褒めるのは気恥ずかしい、だけど今はそんな気がする。これも双極性障害のせいかもしれない、だけど子供の頃から僕を操ってきた、注意欠陥性多動性障害ととの長い闘いの歴史で、ものすごく変わり者だとかおかしいとか言われ続けながらも、どちらかと言えば集団から排除される事ばかり。社会人になって病気による休職はあったものの、定年までそれを表に出ないように、破綻しないようにする努力が報われているような気がした。ほかの人にとっては取るに足らないことであってもこういうことは自分にとっては大きなことなのだ。最後まで気力が続かない、ミスが多くて任せられない、他の人と衝突する。ダメなことこの上なし、それでも、壊れないように壊さないように生きてきた。偉くなったわけでもない、それは病を考えると自分のためでもあるしほかの人のためでもあった。僕は自分を始末するのに一番労力を使う羽目になる、そうわかっていた。ADRD→双極性障害という典型例をたどって今も薬は離せない。だけど、ここまで生きていろんなことをやって儲けものだよ僕の人生。双極性障害は自殺企図率も高い、特に大鬱期が長いと危険だ。私は死なない、電車に飛びこみそうなことはなんどかあったけれど、地下鉄の柱にしがみついたり橋の欄干に足を絡めたりして、自分の頭に生きる意思表示をした。馬鹿げていると思われるだろうけれど変な病に脳を支配された場合、どんなに認知行動療法をやっていても負けそうになる。とても弱い人間の中で風が吹いただけでも折れそうになる。それでも他人に迷惑をかけたくない、できれば人の役に立ちたい、そんな心も捨てずに持ってきた。病は手ごわい、だけど人間であることからは逃げないから。
生まれ持った性格が悪いのか [双極性障害]
人を傷つけまいと思いながら、ざっくりと傷跡をつけてしまう。そんなことの繰り返しで青春はあっという間に過ぎ去った。どうして、人の気持ちをわかってあげられない、くだらない自分の想いがザックザック切りつける。やさしいと言われるけれど本当はそうじゃない。どれもこれも何かの考えがあってやっているわけじゃない、だからこそ悲惨だ。心がいきわたっていないから、レベルの低い優しさは悪意と同じ。生まれ持って障害を持っていたのか遺伝なのか、そうなことはどうでもよかった、その行為をなしているのはまさしく自分で、そしてそれに打ちのめされるのもまた自分で。60歳にもなろうと言うのにこんなことで悩んでいるのは愚かだろうか。心を徹底的に叩きのめさないと生きてゆく価値が見いだせない。
カタプレスと言う薬 [双極性障害]
今飲んでいるカタプレスと言う薬は高血圧のために出ていると医者は言っていたが
血圧は90-130とそれほど高いわけでもない。なんと米国ではADHDの薬として認可されていた
しかも注意欠陥性多動性障害の薬として効果があるように書いてある。
日本では未適用ではあるが主治医はそれを知っていたのだろう。だけど安定剤と一緒に
投与するのは良くないとも書いてある。ただ、カタプレス自体は毒性も副作用もほとんどない
もしかしたらADHDに少しでも光が見えてくれたら。でももう双極性障害まで行きついてしまっているから
やっぱりだめだろうな。でももっと若い人や子供に効き目があるといいな。
自分も随分疎外感を抱いたけど少しでも和らぐと前向きになれたかもしれない。
自分の性格やひん曲がった根性のせいだと叩かれるのは辛かった。
根本は自分なのでいわれなき差別とは言えないかもしれないが
この感覚は僕の生き方をずっと支配している
血圧は90-130とそれほど高いわけでもない。なんと米国ではADHDの薬として認可されていた
しかも注意欠陥性多動性障害の薬として効果があるように書いてある。
日本では未適用ではあるが主治医はそれを知っていたのだろう。だけど安定剤と一緒に
投与するのは良くないとも書いてある。ただ、カタプレス自体は毒性も副作用もほとんどない
もしかしたらADHDに少しでも光が見えてくれたら。でももう双極性障害まで行きついてしまっているから
やっぱりだめだろうな。でももっと若い人や子供に効き目があるといいな。
自分も随分疎外感を抱いたけど少しでも和らぐと前向きになれたかもしれない。
自分の性格やひん曲がった根性のせいだと叩かれるのは辛かった。
根本は自分なのでいわれなき差別とは言えないかもしれないが
この感覚は僕の生き方をずっと支配している
僕のことを悲しくする [双極性障害]
楽しい思い出なんてあっただろうか
変わった子だと変な子だと
遊んじゃいけないと言われていた
それでもちゃんと相手になってくれる子もいた
わかってくれる先生もいた
だけどやっぱりのけ者にされたり
ダメな子供最低の子供と
ののしる先生がほとんどだった
上級生から生意気だと校舎の裏に呼び出されたり
蹴られたり殴られたりした
それでも學校へ行っていたのは
僕を普通に扱ってくれる人たちが
確かにそこにいたから
辛い寂しい哀しいとか感情を握りつぶして
微かな希望がそこに見えたから
自分で命を断てる勇気もないし
報復なんてありえない
自分の辛さ苦しさをほかの人に与えて
それが何になるだろう
僕はどんな悪人にだって苦しむ悲しむ
そんな姿は見たくない
過去のすべてが僕を構成している
思い出とは言えないにしても
変わった子だと変な子だと
遊んじゃいけないと言われていた
それでもちゃんと相手になってくれる子もいた
わかってくれる先生もいた
だけどやっぱりのけ者にされたり
ダメな子供最低の子供と
ののしる先生がほとんどだった
上級生から生意気だと校舎の裏に呼び出されたり
蹴られたり殴られたりした
それでも學校へ行っていたのは
僕を普通に扱ってくれる人たちが
確かにそこにいたから
辛い寂しい哀しいとか感情を握りつぶして
微かな希望がそこに見えたから
自分で命を断てる勇気もないし
報復なんてありえない
自分の辛さ苦しさをほかの人に与えて
それが何になるだろう
僕はどんな悪人にだって苦しむ悲しむ
そんな姿は見たくない
過去のすべてが僕を構成している
思い出とは言えないにしても