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昭和では普通 [いなか]

昭和四十年代では普通だと思う、ちょい田舎暮らしは電話ない有線電話が集落で一つ、よく借りに行ってた。水道ない、大きな桶を天秤棒で担いだ、簡易水道を引くのに集落総出だった。ガスない、炊事も風呂も薪で山に薪を取りに行く、薪割りもする。電気はあったが冷蔵庫はない、水桶につけ、ご飯はお櫃でおかずにはハエよけ傘、ハエトリリボンが下がってる。下水道はない、ゴミは野焼き。小学生から近所の農家の手伝いでアルバイト。修学旅行に行けない人のために廃品回収、トリモチでメジロをとり鮎を取った、今は禁止らしい。いつの時代かと、笑われるけれど、これが五十年前。
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清流は何処へ [いなか]

あの日橋の上で見ていたガラスのような川面と翠滴る岸辺の風景半世紀を超えても変わっていないだろうかと真夏を連れて歩いてきた川辺に下りて足をつけて流れに委ねてみれば冷たく遠い日の感覚に目覚める
あれはこんなに胸が悲しみに沈むような体験だっただろうか懐かしい想い出のワンシーンではなかったかあの日失ったものは決して帰っては来ないそれはそうだけれど長い年月の間に癒され昇華され失われたはずではなかったか少年はもう老人となり心はひび割れて何も感ずることが無くなっていたのではないかさようならという言葉は悲しくもあるが全てを清めてしまう最後の兵器なのだありがとうだってそうだろう僕はずっとさようならありがとうと念仏を唱えている時間を消すために

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暑いな、清らかな流れを見たい [いなか]

遠い遠い故郷の川、その名は奥岳川。青い清流、キラキラして悠々と冷たくて。僕が泳ぎ潜った、これほど綺麗だと思うことは無い。暴れ川だった本流の大野川が遊び相手だったけど、今は護岸改修でよすがはない。奥岳川は変わらない、いつかまた行くだろうか。
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春が来ても [いなか]

常総台地の隅っこで春が来ても何の変わりばえしない
いつもより冷たい冬なのになんだか冬よ行くなと言う気持ち
背中がさらに丸まってなんだか袢纏来て炬燵にこもっていた
あのころのようにだらけた感じ
炬燵の上には蜜柑があって炬燵の中には三毛猫がいて
ウトウトしながら宿題もせずそんな時代があった
それはとてもいい時間で僕はずっと居たかった
心はガサガサを恐れている

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秋の楽しみを [いなか]

秋の楽しみは炊き込みご飯だった。マツタケは輸入ものじゃないと手が出ないが、初茸やクリタケは手に入った。キノコは薄い出汁で炊いた方がいい香りが残る。この季節はやっぱり栗ご飯だろう、剥くのが面倒なので敬遠しがちだが切れ目を入れて軽く焙って剥いていた。すこし渋皮を残して、これも薄味で、小布施の栗くらい大きければいい。山栗は小さくて甘いが剥くのが面倒すぎる。あと少しもち米を入れて炊いた、おこわとは違うが栗との相性がいい。昔は竹風堂さんのお店で冷凍を買っていた、これも秋の楽しみではあった。毎年のように長野に出かけていたが、コロナのおかげで行けなくなった、松本にもそう言えばしばらく行っていない。天然キノコそばや桜鍋、新そばもご無沙汰。高いけどマツタケも国産のは香りが違うんだよな。さて何時旅が解禁になるか、それだけが楽しみ。糸魚川にも行きたいな、ヒスイはどうかな。
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キャンプで泳ぐ [いなか]

子供頃(50年も前)行ったキャンプでキャンプ場のそばを流れる川で泳いだことがある。その前に私の実家のある場所の話をしよう。そこ2つの川が合流する場所の近くで大きな濁った暖かい川と細くて冷たく済んだ川があった。私は主に大きく濁った川に泳ぎに行った。それは魚が沢山住んでいて銛でウグイやフナ、コイ、カマツカなどが採れたからだ。一方で細くてきれいな川は水が冷たく魚影も少なかったのであまり行かなかった。この川を遥かに遡って行ったところにキャンプ場があった。キャンプ場と言っても廃校になった小学校を改築したもので、数部屋があり、あとはテントが10張も張れば一杯だった。竈は川原で作り薪はその辺で調達する、飯盒炊爨と大鍋のカレーだった。そして昼過ぎると目の前の川へ飛び込んだ。これが冷たく済んでいた、深さは2メール以上あったが当時の子供たちは自分の身長より深いところはいかない、ことは知っていても関係なく泳いでいた。水の中で目を開けると底はすぐそばのように見えるが、これが深い、透明度が高いせいだ。わざと深いところで底まで潜ったりしたが、底の方は一層冷たくてドキッとした。今はキャンプ場はもうないらしい、それにしても小学校、中学校、高校と必ずキャンプがあったのは大分県だけだろうか。


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梅雨明け [いなか]

梅雨明けの空を切るように
飛びあがったのは雲雀だろうか
麦刈りのせわしない人々と
夏休みを待つ子らを見下ろして
追い散らかしているのだろうか
遥かに霞む円頂丘と高さを競いつつ

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いなかものだから [いなか]

いなかものの利点は何処でも住めること、何でも遊べること、だけど今は心がそっちへ向かない。折角、植物図鑑をもって野に出てもちっとも面白くない。青い梅の実を見ても花壇の花々を見ても心動かない。昔なら、こんな時は清流を探して足を漬けながら草笛を吹くのに。橋の上から魚影を探して見るのに。そんな川も湖沼もない、優しさを少しでも感じられるなら、自然でも人でもいい。コロナとは関係なく私は疲れている。
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千葉ニューとつくばエクスプレス [いなか]

先日、流山おおたかの森と柏の葉キャンパスに行った。何を好んで行くのか、なんとなく行ったことがなかったという方が正しい。それに、千葉ニューとどこが違うのかなと思った、それにマンション買う時候補地だったから。おなじ北総地区になるが千葉ニューより家が多い。駅から10分でもう畑になることはない、田んぼもない、大きな公園があるのはおなじ。人通りはおおたかの森の方が多いかな、SCの店舗は若干おおたかは多い、柏の葉のららぽーとは小さい。文化施設は圧倒的に千葉ニューは負けている。北総線から比べればつくばエクスプレスの方がはるかに安い。本数も多い、でも秋葉で止まるのはちょっと残念。
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田舎にいたら [いなか]

田舎にいたらこんなにつまらない毎日じゃないかもしれない。ちょっと遅いが山菜取に行ける。川原のクレソンやワラビやゼンマイはもう出ている。タラの芽は少し大きくなったがまだ大丈夫。ウドはちょっとくなったがこれもまだいい、セリやノビルは取り放題。そしてタケノコもほり放題(イノシシに注意)、イワタバコやユキノシタもだいたいてんぷらにしてしまう。ミツバはかき揚げに山椒や田楽みそに入れる。私が知らない山菜もたくさんある。田舎で食ったものしかしらないからだ、たぶんあったのだろうが東北のようにミズやイラは使わない。うずうずするけれど、田舎にも帰れない。
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