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ふるさとの記憶 [昔語り]

ふるさとの山や川、何一つとして忘れない。あの村を出てからもう50年が過ぎて、数年前に帰った時にほとんど変わっていないはずなのに別の世界に思えた。道は立派になり鉄路も健在だけど、人がいない人の匂いがない。涼やかだった麦畑は荒れて草ぼうぼう、山間の水田は荒れ果てて、実家への細道は罅だらけ。竹藪は勢いを増して人を寄せ付けない。子供の頃遊んだ祖父の家は藪にすっぽり取り囲まれて長い時間を感じさせた。多くの集落が消えて多くの人の営みが消えた。友たちの実家も消えてしまった、我が家はかろうじて人が住める程度。母と山菜を背負子を担いで分け入った里山、田植えや稲刈りに駆り出された沢沿いの水田、芝滑りをした裏の茅山、魚を取った小川、皆荒れ果てた。地域の行事も途絶える危機だと言う、庚申様、御日待ち、お伊勢講、御接待、花まつり、芋名月、秋祭り、近所では亥の子、精霊流しも絶滅危惧種だ。変わり果てたよな大分県大野郡清川村、今は名前だけ市になっても。


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