GLP1の薬かえたら [糖尿病]
トルリシテイからオゼンピックに変えたら、確かに胃のあたりが重くて食えなくなった。これは効きそうだがいつかは慣れてしまうのではないかと不安。だが、インスリンギリギリで踏みとどまっている状態から脱するにはこれしかない。1年の間にA1cが5台から8台まで振れるのはどうしてか?これでもダメなら膵臓やられているかもな、背中と胸が痛いし腎臓もかなりへたってきているから。
あまりな [ためいき]
誰でもいいから明日を考えた行動してよ。一時の快楽に溺れないで、まだまだ東京はコロナ禍の中にいる。自粛疲れなんてあるわけ無い、逆にパワーが有り余るから発散しているのでは。それは辛抱が足りない、遊ばないでも生きていける。特に酒と夜遊びはね。
糖尿病(いよいよ合併症) [糖尿病]
足のつま先の感覚がなくなってきた、A1cが下がらなくなってきた。タンパクやケトン体が溢れるようになってきた。血圧も高くなり、いよいよインスリンの出番が来ようとしている。薬はSU以外何でも使っている。運動は再開したが、体と気持ちがついてこない。腎機能も目に見えて低下している、さてここから踏ん張れるかな、そのまま転落するのかな?でもこれ以上迷惑もかけられないから、ここは自力で何とかしようか?でもそこをひっかきまわす双極性障害がいる。どうにでもなれと言ってしまえばアリ地獄、どんな手を使っても生き残らねば。
腹が立った、そうだジャム作ろう [雑談]
なんかいろいろ我慢していたことが噴出しそうになった。最近仕事で起こる回数が増えた、あと1年ちょいで60歳だからかな。そうだ、ナワシロイチゴを摘んでジャムでも作るか、と思って以前あった場所へ行ったが、なんとほとんど消えているではないか。ナワシロイチゴは荒れ地にまず進出する先駆的な植物だが、まさか1、2年で消えるとは・・・。仕方がないので近くのスーパーでジャム用ブルーベリーとレモンを買って、いつもは使わないペクチンも買って、久しぶりのジャム作りへ、できたものは写真にするほどのものではないので、ご想像にお任せします。なにせおっさんの怒りに任せたものですから、意外とストレス解消になったかもしれません。
どうして俺だけ、それは言っても思ってもいけない言葉 [想い]
運がいいとか悪いとか確かに世の中にはたくさんある、だけどそれが本当に運ならば仕方のない事。どうして俺だけこんな目に、それは僕にとって言ってはいけない言葉。同じように何であいつがとかも同じ。自分に起こることは自分にか責任がない、また他人に起こることの責任もとれない。みっともなくも人のせいにはできない。たいていの人はそう持っているのに、他人の幸せは憎い、自分の不幸は他人のせいそいう人格の人がまれにいる。それも事実、それを改心させることはおそらくできない。だけど自分だけは心に刻む一里塚。
愛の歌なんて作れない2 [うた]
季節が変わる頃になると
二人の距離は近づいて
僕がそっと手を伸ばせば君が手を重ねた
君の柔らかさ僕の暖かさ
こんな日がずっと遠くまで
続いて行くと信じてた
また季節の目盛りがカチッと回る
白いブラウスが輝いている
緑の公園に自転車止めて
蝉しぐれに紛れて好きだよと言った
頷いた君を抱きしめた
君の香りの中に僕は飛び込んだ
二人の距離は近づいて
僕がそっと手を伸ばせば君が手を重ねた
君の柔らかさ僕の暖かさ
こんな日がずっと遠くまで
続いて行くと信じてた
また季節の目盛りがカチッと回る
白いブラウスが輝いている
緑の公園に自転車止めて
蝉しぐれに紛れて好きだよと言った
頷いた君を抱きしめた
君の香りの中に僕は飛び込んだ
愛の歌なんて作れない1 [うた]
電車のドアに寄りかかって
難しい顔しながら本を読んでいた
窓の外には麦の穂が揺れていた
毎日の往復は誰と話すこともなく
自分だけの時間だった
その日はいつも通りに電車に乗って
同じ場所に行こうとしたら
知らない女の子が窓の外を見ながら立ってた
僕はドアを挟んで反対の場所で
いうものように本を開いた
そしたら知らない女の子は
僕の本をのぞき込んで
何を読んでいるんですかと聞いた
それから二人でおしゃべりの日々
君は君のことたくさん教えてくれた
僕はなんとなく恥ずかしくて
僕のことはあんまり言えなかった
難しい顔しながら本を読んでいた
窓の外には麦の穂が揺れていた
毎日の往復は誰と話すこともなく
自分だけの時間だった
その日はいつも通りに電車に乗って
同じ場所に行こうとしたら
知らない女の子が窓の外を見ながら立ってた
僕はドアを挟んで反対の場所で
いうものように本を開いた
そしたら知らない女の子は
僕の本をのぞき込んで
何を読んでいるんですかと聞いた
それから二人でおしゃべりの日々
君は君のことたくさん教えてくれた
僕はなんとなく恥ずかしくて
僕のことはあんまり言えなかった
無理やり元気 [双極性障害]
大鬱が続くと行動療法的に明るい方、活動的な方へ行きたい。そんなときに軽躁の時にはどんな心の構造になっているのか探したくなる。両方とも病の1フェーズなのに何が違うのだろう?しかも同じ僕の頭の中で起こっている。誰かが中でスイッチの切り替えをしているのだろうか?類は僕自身が気づかないうちに切り替えているのか。10年以上の病気との付き合いでもわからない。薬で無理に抑え込んでいるからなのか。その薬も二次作用に苦しめられている、運命を恨んだりはしないけど打開できる心が欲しい。
病と共に [想い]
不治の病と死に至る病、どちらが辛いか?死に至る病の方がショックは大きいかもしれない、ただ死に至るのはいつわからない。不治の病はその病で死ぬかもしれない、dめお一生付き合っていくだけかもしれない。私は今片方は確実に背負っていて、もう一つに片足が入りつつある。ただ、どこかで覚めて見ている。生きることや何かをすることへの執着がどんどん薄れていく。だから面白いものがない、人への関心が消える。実は訳もなく眠ってしまう、言うより気を失ってしまう、電車で降りる駅の前の駅まで気がついているのに、はっとすると乗り過ごしていることが多い。会議の記憶がどこからか抜け落ちている。過去の記憶が混沌としている。それに気付くとあまりにも悲しい、人間として壊れていくようで。終わりが着つつあると思うと
誰かに引き継げば終わる、早くそうしたい [双極性障害]
最近忙しくて時間中に人と話す余裕もない。昔なら会社に来て始業まではくだらない話をしたりネットニュースを見ていたのだが、今は時間前からメールチェックしメールを返し、資料や報告書を作る、管理職と言っても実務も持っているので時間に追われる。他部門の応援もしなければならない、特に職人芸のようなこともやっているので代わりがいない。しかもそれを引継いでいかなければならない、これを引き継いだら自分の価値がなくなる?そんな価値はいらない、私は職人ではない。だから、あと1年まじめに生きるさ、受け渡したら終わろう。