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昔の歌で [昔語り]

遥か昔、昭和ブルースと言う歌があった。たしかテレビの非情のライセンスというドラマののエンデイングに使われていたと思う。(勿論オリジナルは若者たちのブルーベルシンガーズだが)だがこの歌詞が何とはなく、刺さる。「生まれた時が悪いのか、それとも俺が悪いのか、何もしないでいきてゆくならそれはたやすいことだけど」今の俺は何もしていない、ただ時間と金を食らっているだけ。
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悲しみの塊を抱いても [想い]

人は誰でも、どこかに悲しみの固まりを抱えている。そんな重いものはおいて来ればいいと言われても、思い出と言う鉛より重い塊をも売り出すことなどできない。捨ててしまえばどれだけ心がすっとするかわかっている。だけど、重くじめじめしてある時にはもうカビ臭い、それでも持っていたいのだ。だから、捨てなさいとは言わないよ。死ぬまでどうせ抱えているんだろう、だったらその周りだけでも光を当ててカラッとしよう。折角二面性をみんな持っている、それは悪い事じゃない。おいで、ここへ僕が忘れていた古い歌を歌うから。そのままでいいから
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海が見たくなった [双極性障害]

ただ寄せては返す波を見ているだけではなんだか心がいたたまれぬ
それでも海を見るために電車に乗って誰もいない浜辺に降り立ったけど
北風に揺れる松並木もシャッターを閉めた民宿も
こんな終わりの時間を共有するためじゃなかったと
吹きすさぶ風に襟を立ててシーグラスを一つ拾った
たわいもない事だけどこのシーグラスが愛しくて
いつもなら海に投げ返すものを静かにポケットにしまい込んだ
これが今日の目的だったかどうかそれはわからない
これでよかったとも言えない

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これもADHD [ためいき]

昨日、浅草線の日本橋駅で携帯も見ていないのに丸い柱に激突した。何かを考えていたのだろうが、突然ガーンと当たって歯ががくがくになった。去年も五所川原の駅前で暗い道を一人で歩いていたら電柱に激突した。信号を気付かずにわたりそうになったり、溝に落ちたり。注意欠陥性多動性障害って、こういう注意欠陥もあるのだな。非常に危険なんだな、いつもそんなことがあるからとても注意して行動するのに気が抜けているとポカをやる。しかも気の抜けている時間の方がはるかに多い。年齢によるボケも始まっているとすれば、どこかで致命傷になる、気をつけよ。
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奇跡の連続、痛いのは仕方がない [昔語り]

歳をとれば病気でも怪我でも元通りにはならない。障害者だから仕方がない、そんな風にも思えない。運が悪いわけではない、右足膝蓋下動脈断裂という怪我をしながら、その症状にたどり着いたのが事故発生から40時間後で、通常はほぼ間違いなく切断になるところ。脹脛は壊死しアキレス腱は大きく縮退していたが動脈を切断した脛骨と腓骨は大きく砕けてはいなかった。脛骨はけん引してボルトで固定し、脹脛は左足からとった皮膚で植皮した。断裂した動脈は脹脛で生きている静脈を採取して裏返して結合部を作りくるぶし当たりの動脈と接合した。それからは病院で寝たきり、感染症で40度越える熱、足に管を刺して体液の導出、かなりの間全く動けなかった。親にはものすごい迷惑をかけた。だけど、死のうとは思わなかった、障害は残る、ADHDは治らない、それでも生きなきゃいけない、そう信じてた。こうして、長いリハビリを経て復学した、だけど本当は
体よりも頭の方が障害が重いのだから、躁うつ病なんぞはうつ病と間違えられて抗うつ薬5年近く飲んでた。それがどうした?誤診として訴えるか、そんな人はいないと思う。結局どちらも寛解しているわけではないし、これからもリチウムや入眠剤は死ぬまで必要なんだろう。でも叩かれてもつぶれない、最初から壊れているんだからこれしかない。

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生きてこそ [想い]

命の尊さはいくら年をとろうが心が錆びてしまおうが変わらない。それは微かに残った僕が人で証かも知れない。気が付かないうちに日常に溶かしてしまいがちになる、こんな日にはずーっとどこかに忘れてしまった、僕が弱いけれども人間を大切にしてきた証拠。例え無駄であっても一生懸命に抗ってきたのは、発達障害のせいだけじゃない。人より秀でているものが何もない、特技もない夢もないずたずたにされても不条理を許せない、愚かと言えば愚かだけど、それを当たり前と思う、僕はやっぱり病気だろう。ADHDなんて知らなかった、双極性障害も知らなかった、どれもまるで僕を見て症状を決めたようだ。だからと言って全て病のせいではない、私自身の意思が介在する余裕がある。病気のせいにすることはたやすい、だけど意思の力と認知で戦うことはできると思う、見てくれ悲しみを乗り越える姿を、絶対に
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新年です [雑談]

一昨日、昨日は何もせず、年賀状も書いていない。食っちゃねの2022です。初詣は小さな神社を探して野田の方へ行きました、地元の人はいるが誰も並んでいなかった。寒さは厳しい新年だけどいつものように、世界から少しでも悲しみが減りますようにと祈願しました。まあ、残り福でも自分に落ちてこないかなとも思いつつ。病気の方は状況が固定されているのでもう、治れとかかんかいしろとか思わないようになってきた。命はいつか尽きるものこっちから行くこともない、待つこともない。
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